インタビューINTERVIEW

インタビュー

インタビュー

血液内科 顧問医

黒田 純也(くろだ じゅんや) 先生

PROFILE

所属・職名
京都府立医科大学 血液内科学 教授
専門分野
血液内科学、造血幹細胞移植
略歴
1996年 
京都府立医科大学医学部 卒業
1996年 
京都府立医科大学第1内科 研修医
1998年 
京都第2赤十字病院 血液内科
2000年 
京都府立医科大学大学院(内科学専攻)入学
2002年 
京都大学附属病院輸血細胞治療部 特別派遣研究留学生
2004年 
京都府立医科大学大学院 卒業
2004年 
The Walter and Eliza Hall Institute of Medical Research (Melbourne, Australia),Molecular Genetics of Cancer Division, Visiting Academic (客員研究員)
2006年 
京都府立医科大学大学院 血液・腫瘍内科 併任助手
2008年 
京都府立医科大学附属病院 血液・腫瘍内科 病院助教
2009年 
京都府立医科大学大学院 血液・腫瘍内科 講師(学内)
2011年 
京都府立医科大学大学院 血液・腫瘍内科 講師
2012年 
京都府立医科大学 血液・腫瘍内科学 診療科長
2016年 
京都府立医科大学 血液・腫瘍内科学 診療副部長
2016年 
京都府立医科大学 血液内科学 教授
2016年 
京都府立医科大学附属病院 血液内科 診療部長
2016年 
同 遺伝子診療部 部長(兼任)

黒田先生が医師を志されたきっかけを教えてください。

医師になった理由は、実はあまり明確ではないのです。親族に同じ生業のものが多かったので、なんとなく医師になるのだなと思って幼少期を過ごしていました。ところが物心がつくと、それに疑問を感じるようになり、反発もしていました。根本的に「自分は文系の人間だ」という思いがあって、そちらの方に興味があった時期もありました。

内科医をめざすことになったのは祖父の影響です。同じ京都府立医大の60年先輩で、和歌山で小さな診療所を開業していました。診療所には地域の方々が集まってくる、そういう生き方を身近に感じたので、内科医になろうと思いました。

大学の教室で当時私が入局した第1内科は、糖尿病・膠原病内科と消化器内科が主体の教室でしたが、その頃は幅広い知識・技術を併せ持つジェネラリストを養成するのが方針でした。コモンディジーズ(一般的な病気)に対して幅広く診療できるのがひとつの目的の科でしたので、私もそこで実力を養って、地域医療に役に立てたいと考えていました。

なぜ血液内科の道を選択されたのでしょうか。

研修医になる前は、「血液疾患=難解で難治な病気」という印象でしたが、実際に主治医を経験する中で、血液疾患は「大変不公平な病気だな」と感じたのです。生活習慣病とは違って、ご本人にはまったく原因がありませんから。
若い方からご高齢の方まで年齢層も幅広く、普通は平均寿命まで生きることをイメージしていると思うので、あまりにも理不尽な病気だと思いました。そして同級生14人とともに入局したけれども、一人くらい血液を専門にする人間がいてもいいのではないかと考えるようになったのです。
血液内科は患者さんも少なく医者も少ないけれども、ここであれば惑うことなく仕事に集中できるというか、徹底的にやれると思えましたし、診断から治療、社会復帰までかかわることで、全身管理からソーシャルな管理まで、包括的なお手伝いができることも魅力に映りました。

研修医時代に影響を受けられた方はいらっしゃいますか。

2人います。一人は、京都第二日赤十字病院の院長をされている小林裕先生です。一見極めて冷静な先生なのですが、治療となると非常に熱いんですね。ご本人が覚えていらっしゃるか定かではありませんが、私が研修医時代に「医師として何をいちばん大切にされていますか?」というような質問したときに「患者さんの痛みをとること」と回答されたのを私自身はとても印象深く覚えています。痛みというのは、苦しみかもしれないし、本当の痛みかもしれない。ただそれをいろいろな角度から緩和することが私の使命なんだ、と刻まれたことを覚えています。
もう一人は、研修医はキャリア4、5年目の大学院生からご指導を受けるのですが、医師5年目くらいの先生が、非常に要求度が高かったのです。先の先の可能性まで見越して、事前準備をしておくこと、そのために頭を使うことの重要性を教えていただきました。私たちの仲間はみんな、その先生に至らない点をカルテに記載されるんですが、それをひとつでも減らすことが共通の目標でしたね。

オーストラリア留学ではどのよう研究をされていたのでしょうか。

留学先は、京都大学の前川平先生や佐賀大学の木村晋也先生も留学されていた研究所でした。2000年くらいから分子標的薬が登場し、一時は「すべての病気が治るんではないか」という空気にもなりましたが、分子標的薬をもってしても完治できないことが分かり、白血病細胞の生死のメカニズムをきちんと勉強したいと思うようになったんです。 私は、アポトーシス(細胞の自然死)の領域で世界で数本の指に入るアンドレアス・ストラッサー先生に師事して、勉強させていただくことになりました。

オーストラリアの研究所では、私は慢性骨髄性白血病を、イギリスからの留学生は肺がんの研究を行い、研究室で脈々と培われてきた基礎医学的な知見の臨床応用を追及していました。 その際に、慢性骨髄性白血病細胞がグリベックでアポトーシスに誘導される分子メカニズムと肺がんで使われるイレッサ(EGFR阻害剤)による肺がん細胞のアポトーシス誘導のメカニズムがきわめて類似していることを発見したほか、 そのメカニズムを効率的に強化しうる薬の創薬にかかわっていました。その薬の発展形が、欧米では慢性リンパ性白血病に使われ、日本でも近い将来に承認が期待されています。

血液内科になって気づかれた血液病学の魅力はありますか。

私にとってラッキーだったのは、血液病学が劇的に進歩する時代を経験できたことです。私が医師になった1996年は、いわゆる古典的な抗がん剤しかありませんでした。造血幹細胞移植といっても骨髄移植がメインで、あとは自家移植ができるようになって急激に数が増えてきたという時代でした。その中で化学療法の観点からは、モノクロナール抗体薬や分子標的治療薬の一個目からここまですべてに関わることができました。
私は治療法が出来るたびに「初めて」と思いながら、それまでにはない効果を実感しつつ治療することができましたし、移植についても臍帯血移植や同種造血幹細胞移植、あるいは高齢者の方の非骨髄破壊的移植などを経験していく中で、ものすごい勢いで毎年治療が変わっていくことにやりがいを感じました。
新しくなることで良くなることもありますが、同時に新たな問題も生じますので、その意味で常に進歩と課題解決が同居するなかで戦うことにはやりがいはあります。

教授に就任されるまではどのような苦労があったのでしょうか。

上司に恵まれ、正直あまり苦労したという実感はありません。ただ夢中で日々を過ごしてきました。どうしようかなと思うときはいつも道を作っていただいていました。帰国したときに分岐点があったと思います。 基礎研究への専念も考えたことはありますが、元々地域診療がしたくて医師になったので、迷っていました。 そのとき、旧第一内科の教授に「何がしたいのか?」と聞かれ、私はためらいながら「基礎も臨床も両方したいんです」と答えたことを覚えています。 はっきりと、どちらかを選択するように指導されるのかと思いましたが、「どっちもできれば最高やないか。府立医大に帰ってきなさい」と勇気づけてくださいました。 中途半端で煮え切らない選択ではいけない、と諭されるのではないかと思っていたので、素直に嬉しかったし。挑戦する気持ちが湧きましたね。

私はずっと上下を問わず、人に恵まれてきました。大学院のときから継続してお世話になっているメンターだったり、一時期的に京都大学に派遣されたときの上司であったり、前任の教授であったり、本当に上司には恵まれました。 皆様の「良いところ取り」ですが、いつも上司の先生に言われたことよりも、どうすれば少しでも上のものを返せるかと思いながらやっていました。みなさんにかわいがっていただけたことは本当に得をしたと思いますし、また、頑張ってくれる後輩にも支えられて、ここまで来られたのだと思います。

ご専門分野についてお伺いします。まず、血液がんにはどのようなものがあるのでしょうか。

インタビュー

一口に血液がんと言っても、たくさんの種類があります。まず、血液がんの中で多くの割合を占めるものとしては、「白血病」や「悪性リンパ腫」、「多発性骨髄腫」があげられます。
「白血病」は、骨髄の中にあるより未熟な細胞ががん化するものです。がんに侵されると正常な造血ができなくなり、貧血や感染症、出血などが起こりやすくなります。
「悪性リンパ腫」は、リンパ球ががん化することにより起こるもので、現在、130種類以上に分類されています。 多くの場合、リンパ節の腫れがみられますが、体中のどこにでも腫瘤を作ります。 病型によって、発生部位も、遺伝子異常も、染色体も、悪性度も異なりますから、それによって進行速度や薬の効き方も異なります。 ある種のものは、見つけ次第すぐに治療しなければ数ヶ月で命を奪いますし、ある種のものは10年、15年経っても症状にあらわれなかったりします。 ですから同じ「悪性リンパ腫」という病名であっても、病型診断をしっかり行い、正しい治療を行うことが大事です。

「多発性骨髄腫」は、がん細胞の中でも形質細胞ががん化するものです。いろいろな物質を分泌するせいで全身に障害が出てくるもので、骨が溶けたり、腎臓が悪くなったり、感染しやすくなったり、心臓が腫れたり、いろんなことを引き起こす機能性腫瘍というものです。治りにくいがんではあるのですが、近年は治療が進んで成績はよくなっていて、少しでもQoLを保ちながら寿命を延ばすことができるような治療を心がけています。

これらの血液がんの罹患数について、近年傾向に変化はありますか。

すべて増加しています。その原因のひとつは高齢化です。血液がんは他の固形がんよりも若年層にも多く発症する傾向もありますが、加齢とともに増加します。また、よく言われる病気の欧米化も確かに起こっていると感じます。一部地域性もあって、ウイルス感染が契機になっているケースもありますね。

血液がん早期発見のために、受けておくべき検査はありますか。

「悪性リンパ腫」は、リンパ節が腫れる場合が半分、それ以外の臓器に腫瘍ができるのが半分と、血液の通っているところであれば爪と髪の毛以外どこにでも発生するんですね。ですから、CTや内視鏡、超音波やPET検査など画像検査が有効です。
「慢性白血病」は自覚症状こそありませんが、採血をすれば白血球の数値が明らかにおかしいことが分かります。逆に「急性白血病」を見つけるための検診というのは困難ですね。「多発性骨髄腫」は、血液検査と検診で行われるような蛋白分画などの検査で検出できます。

「白血病」は近年、治る病気になったと言われています。それは血液がん全般に言えることですか。

完治率が上がったものと、完治は難しいけれど慢性病のように長く病気とお付き合いすることで寿命を延ばせるものがほとんどです。かなりの分野で進歩は間違いなくあると思います。
具体的には、「悪性リンパ腫」の中でも、いちばん多いタイプの「びまん性大細胞型リンパ腫」は、私が医師になったころは、最も低リスクの患者さんでも10年生存率が5割程度にとどまりましたが、今は約7割の方は完治が望めると思います。また、かつては同種造血幹細胞移植しか根治をもたらす治療がなかった「慢性骨髄性白血病」は、私が医師になった頃は、生存期間は7-10年程度とされていましたが、今は少なくとも適切に分子標的治療薬による治療を続ければ、9割はその病気が原因で亡くなることはないですね。

「血液がんの治療には、「化学療法」「造血幹細胞移植」に加えて、「分子標的薬」が誕生して大きく変化したと言われていますが、これらの治療法について教えてください。

患者さんにフィットした治療法を組み合わせることになるのですが、大事なのは、それぞれの特性をエビデンスに基づいて正しく使用することです。「化学療法」と「分子標的薬」を併用することもありますし、ある方は「分子標的薬」だけ、ある方は「抗がん剤治療」だけというように多種多様です。
従来の抗がん剤治療に比べて、分子標的薬は有害事象のプロファイルがそれぞれ異なります。「分子標的薬」は分子の特徴をおさえるので、起こる出来事も違いますし、ましてや「免疫チェックポイント阻害剤」ではこれまでに見たことがないような有害事象も出ます。医師のスキルアップはもちろん、患者さん自身にも理解していただくことが大切です。

新たな免疫療法「CAR-T(カーティ)細胞」を用いた新薬「キムリア」の製造販売がこの2月に厚生労働省から承認を受けました。白血病、あるいは血液がん全般の治療法として期待される、この新薬についてお聞かせください。

がんの薬についての全体の流れでいうと、殺細胞性の「抗がん剤」から、病気のメカニズムを明らかにし、ターゲットをしぼる「分子標的薬」というように、腫瘍細胞に直接アプローチする治療が開発されてきました。 その中で、固形がんの「オプジーボ」しかり、「CAR-T細胞」しかりですが、これまでどう使えばいいか分からなかった抗腫瘍免疫効果に対して、具体的にアプローチできるようになってきました。

オプジーボのような「免疫チェックポイント阻害剤」というのは、体の中にがん細胞ができると、攻撃して排除する役割を果たす免疫の性質を利用しています。 がん細胞の中には、免疫の仕組みから逃れる術をもっているものもあり、例えばPD-1/PD-L1というがん細胞と免疫担当細胞が結合することで、がん細胞が免疫の攻撃から回避するようなメカニズムをブロックすることを治療に応用したのが「免疫チェックポイント阻害剤」です。

CAR-T細胞を用いた新薬は、もっと積極的に攻めようというものです。 リンパ球に腫瘍が特徴的に持っている分子と結合する人工的な部位を遺伝子導入し、効率的に腫瘍細胞を攻撃できるようにするのです。 私からリンパ球をとって遺伝子を入れて、そして私の体に腫瘍を攻撃できるリンパ球に変身させて体に戻すのがCAR-Tです。CAR-T細胞は一部の白血病やリンパ腫に既に投与可能ですし、標的を変えればほかの病気にも応用することが可能ですので、骨髄腫にもこれから使われるようになると思います。

CAR-T細胞の今後の課題がありましたら教えてください。

オプジーボでも話題になりましたが、必ず治療法が出た時に今まで見たことのない有害事象の問題が出てくるのがひとつ。もうひとつは膨大な医療費です。
CAR-Tは、一回数千万円かかるのでFDA(臨床試験の規制)は24歳以下に制限しており、倫理的な課題もあると思います。もし、25歳一ヶ月なら使えないわけですよね。どのような病状の患者さんに、どういう状況で使用するのか、年齢で線を引くのは難しい問題です。実診療の現場では迷ったり、苦しむこともあるでしょうね。
ただし、CAR-Tは確かに今まで治らなかったような人たちも治せる可能性があることは間違いないと思います。それがもっと簡単にできるようになれば、益々いいと思います。ほかの新薬でも、モノクローナル抗体にも新しいタイプが登場していますし、分子標的薬の開発も進んできていますから、本当に治療戦略は多種多様になってきています。

黒田先生が今後、取り組んでいこうとされていることを教えてください。

新しい治療は大事だと思いますが、スタンダードは守りながら、問題を一個一個クリアにしながら解決するということが一生続くのかなと思います。つまり、これまでの20年余りとはあまり変わらないのでしょうね。ベースは臨床ですから、コツコツと地道に診療をしていきたいです。

あとは、患者さんに「よかった」と思っていただける環境を整えていくことと、全国の医療従事者の方々と手を取ってできたらいいと思います。また、私より15年、20年下の後輩がたくさん入ってきていますから、しっかりしたマインドを持ってもらえるようにしていきたいです。

最後に、関西メディカルネットの会員の方々へメッセージをお願いします。

インタビュー

血液内科に限らず、悪性腫瘍は早く見つかることに越したことがありません。診療というのは予防医学、もしくは症状が出てからの治療のいずれかです。 関西メディカルネットの会員の方は、予防医学という観点で注意を払ってらっしゃる方だと思いますから、引き続き定期的に検診を受けていただけたらと思います。 いちばん大切なのは受けることに満足するのではなく、結果を放置しないことです。
「健康管理で私自身のことを申しますと、睡眠をしっかりとることと、なかなかスポーツする時間がとれませんので、歩けるところは歩くようにしています。 スポーツは学生時代、野球やサッカーをやっていて、オーストラリア時代にも、金曜日の17時頃に実験を終えてサッカーに興じていましたが、今はもう体が動かないですけどね。

BACK